『まんがの作り方』は孤独に耐えること - ルカーチ『小説の理論』から -

 "「上流社会」の調子――すなわち因習的な幻想や非真理がもっているところの無関心で無感動な調子――がとりも直さず現代の支配的な通常の調子である。現代では多分単に本来政治的である要件(これは自明なことである)ばかりでなく、宗教上の要件および学問上の要件も、そしてそのためにまた現代の害悪も、この調子で取り扱われ論じられなければならないのである。見せかけは現代の本質である。われわれの政治も見せかけであり、われわれの道徳も見せかけであり、われわれの宗教も見せかけであり、われわれの学問も見せかけである。今は、真理を語るものは厚顔であり「無作法」であり、「無作法」なものは不道徳である。真理はわれわれの時代にとっては不道徳である。キリスト教の欺瞞的な否認――これはキリスト教の肯定という外観を呈している――は道徳的である、そうだ権威にされ名誉にされる。しかるに、キリスト教の真実の――すなわち道徳的な――否認、いいかえれば自己を否認として公言するような否認は、不道徳であり不評判である。恣意はキリスト教をもてあそんで、キリスト教の一方の根本条項は実際に放棄し、他方の根本条項は外見上存立させるのであるが、この恣意のもてあそびは道徳的である。そして、一方の根本条項を実際に放棄することはなぜに外見的に他方の根本条項を存立させることになるのかというと、すでにルターがいったように、一つの信条を破棄するものは少なくとも原理の方からはすべての信条を破棄するのだからである。しかるに内的必然性によってキリスト教から自由になるという真剣な態度は不道徳である。機転がきかない中途半端な態度は道徳的であるが、しかし自己自身を確信し確認している徹底性は不道徳である。怠慢な矛盾は道徳的であるが、しかし整合性という厳格な態度は不道徳である。凡庸な人間は何事にも始末をつけずまたどこでも根本にまで立ち入らないために道徳的であるが、しかし天才は自分の問題を片づけ徹底的に究明するために不道徳である。かんたんにいえば道徳的なのはただ虚偽だけである。なぜかといえば、虚偽は真理の害悪――または今はこれと同一であるが害悪の真理――を回避し且つかくすからである。"(ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ著『キリスト教の本質』舩山信一訳、pp.18-19)

 『まんがの作り方』(全8巻、平尾アウリ著、徳間書店、2009-2014年)の表題の意味を探り、それを通じて描写の特徴を分析する。副読本にはルカーチ・ジョルジュ著『小説の理論』(所収『ルカーチ著作集』第2巻)を用いる。さらにそののち、その特徴が『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(全2巻、2016年-連載中)、『私のアイドル』(所収『エクレア』、2016年)にも通底していることを確認する。
 『まんがの作り方』は読切りだった第1話において、作品のメタ=フィクショナルな視点を作中に導入してオチをつけている(第1巻、p.28)。本作は当初からフィクションをそのように相対化している。第1巻のプロットは、川口が百合マンガをかくために森下との交際を試みるというものだ。川口が百合マンガではないマンガの連載をはじめるまで、本作は自己言及的な構造をとることになる。
 それが第6-7話に当たる。出版社にプロットの提出を求められるという外的な要請により、川口は森下との交際の経験を創作に活かそうとするが、失敗する(同pp.128-130)。その失敗について、川口は現実がフィクションに転化する過程を逆転させ、原因を現実に求める。"(今なら絶対百合漫画描けると思ったのに)(百合を理解出来てない?)「森下――…」(もしかしてまだ森下のこと好きになれてないの?)"(同p.130)。
 しかし、それはフィクションの存在意義をも否定する。川口は森下にプロットの作成を依頼し、森下に諌止され、そのことに気づく。"「森下私のこと好き?」「え あの」「うん そうだよね」「なら 私の代わりにプロット書いてくれたらいいのに」「それだとダメです」「先輩の漫画じゃないと意味ないです わたし先輩の漫画と一緒に載りたいです」「だよね(コマが変わる)ごめん冗談だから」「?」"(同pp.131-132)。
 そして、とくにじしんの経験とかかわりのないプロットが採用される。ここにおいて、現実から独立した、フィクションのそれじたいの存在が認識される。"〈結局 適当に書いた二行ほどのプロットとも言えないようなものが通ってしまった。〉(描きたいものと描けるものは違うもんなんだな)"(同p.133)。川口は創作にかかわりなく森下と交際をつづけることにする。現実とフィクションの二重性の認識が、肯定的に作用する。"〈自分のためじゃなくてこの子のために一緒にいてあげなきゃって思った。〉"(同p.138)。
 ジョルジュ・ルカーチは『小説の理論』において、ゲオルク・ヘーゲルの『美学講義』におけるエマニュエル・カントの『判断力批判』の概念と感覚の一致という美学の基準を主観的なものにすぎないとする批判(ゲオルク・ヘーゲル著『ヘーゲル美学講義』長谷川宏訳、上巻、pp.62-66)を継ぎ、文学を劇文学と叙事文学の二者に区分する。劇文学は具象化した超越性の描写としてではなく、本質が生の世界を包含しているが、叙事文学は本質が超越性により措定をおこなう当為でしかない。よって、叙事文学は生そのものではありえず、もはや弁証法としてしか芸術をおこなうことはできない。なお、距離の有無により叙事文学は叙事詩と小説に区分される。小説はイロニーという自己認識と自己止揚の過程をとる。

"先験的な標識点のかかる変化によって、芸術形式は歴史哲学の弁証法に従属することになる。しかし、弁証法のゆきつく結果は個々のジャンルの先験的故郷に応じ、すべての形式にとってかわらざるをえない。変化がおよぶのが対象と対象を形象化する諸条件のみであって、形象とその先験的存在理由との究極の関係には、一指も触れない場合も、おこりうる。その場合、たんに形式が変化するにとどまり、なるほどこの変化によって技術的な細部のすべてにおいて分解が進行しても、形象化の根本原理がくつがえることはない。しかし、ほかならぬすべてを規定する、ジャンルの様式化の原理に変化があらわれ、芸術意志が変わらないのに(歴史哲学的に条件づけられているが)同じ芸術意志にさまざまな芸術形式が適当する場合がありうる。これはジャンルを創造する志向の変化ではない。たとえば主人公と運命とが問題化すると、エウリピデスの非悲劇的演劇があらわれるごとく、すでにかかる例はギリシアの歴史のうちにみられたことであった。そこでは創造へかりたてる先験的要求と、主観の形而上学的苦悩とのあいだに、先験的要求と、完成された形象化が逢着する、あらかじめ決定された永遠の形式の場とのあいだに、完全な一致が支配するのである。しかし、ここで言うジャンルを創造する原理は、志向のいかなる変化も要求しない。むしろ必要なのは、古い目標と本質的に異なる、新たなる目標を目ざす、かわらぬ志向なのだ。それは、形象化する主観と仕上げられた形式によって出現した世界における、先験的構造の昔ながらの平行もまた引き裂かれ、形象化の究極の基盤が故郷を喪失したことを、意味するのである。たとえ必ずしも徹底的に究明されたわけではないが、小説の概念をロマン的なるものの概念と密接に結びつけたのはドイツ・ロマン派であった。それは大いに正しかったのである。なぜなら小説形式はほかのいかなる形式にもまして、先験的な寄るべなさの表現なのだから。歴史と歴史哲学が一致していたから、そこからギリシアがえた結果は、どのジャンルの芸術も、精神の日時計のうえにまさにその時の来たことが読みとられてはじめて出現し、その存在の典型がもはや水平線上にとどまることがなくなれば、どのジャンルの芸術も消え去らなければならなかった、という結果なのだ。ギリシア以降の時代にとってはかかる哲学的循環は失われた。ジャンルはそれらの時代にとってはときほぐしえない縺のなかでからみあい、もはや明白、明解にあたえられてはいない目標の、本物の探求、にせの探求のしるしとなった。ジャンルをよせ集めてもその総計からあらわれるのは、経験の歴史的全体性にすぎないのである。そこに人は個々の形式のために形式の生まれくる可能性を、その経験的(社会学的)条件を探し求めるであろうし、ときにはそれを見出すこともあろう。しかし、そこではもはやあの循環の歴史哲学的意味は、象徴と化したジャンルのうえに集中せず、そこでは歴史哲学的意味は時代の総体のうちに見出されるより、むしろ時代の総体から解読され読みとられるのである。しかし、この先験的な関わり合いはわずかにゆらぐだけでも、意味の生内性は救いようもなく失われたのに、生から遠のいた本質、生にうとましい本質はおのれの実在を王冠としてみずからを飾り、大きな騒乱に見舞われ、その尊厳の色褪せることがあろうと、尊厳そのものが飛び散り消滅することはありえないのだ。それゆえ悲劇はたとえ変貌しても、その本質は無傷のままにわれわれの時代へと救いだされたが、叙事詩は姿を消し、まったく新たなる形式、小説にその席をゆずらざるをえなかったのである。"(ルカーチ・ジョルジュ著『小説の理論』大久保健治訳(所収『ルカーチ著作集』第2巻、pp.36-38))

"現実の現存性と相在に結びつき引きはなしようのないことが、叙事文学を劇文学から決定的に分かつ境界であり、それは叙事文学の対象たる生に由来する必然的結果である。本質という概念はたんに措定するだけですでに超越性へと向かうが、しかしそこで新たなより高次の存在へと結晶化し、その形式によってあるべきものとしての存在を表現する。それは形式によって生みだされた現実性のなかで、ただたんに存在するにすぎないもののもつ、内容としての所与性から独立を維持する、当為としての存在を表現するのである。生の概念はそれとは異なり、とらえられ、凝固した超越性のもつ、具象性を排除する。本質の世界は形式のもつ力によって現存在の上にはりめぐらされ、ただこの力の内なる可能性によってその種類と内容を制約されるのだ。生の世界は地上に居すわり、ただ形式によって受けとめられ、形象化されて、それ本来の意味へと導かれるにすぎないのである。そして生の世界では、ただ思想誕生のさいの、ソクラテスの役割を果たすことを許されるにすぎない形式は、前もってみずからのうちにおかれたものでなければ、魔術によろうと、なにひとつとしてみずからのうちから生みだしようがない。演劇の創造する形式は(これは同じ事情の別の表現にすぎないが)人間の知性的自我であり、叙事文学の性格は経験的自我である。地上で追放された本質が、逃れながら死にもの狂いにみずからに課し、それを強めながら達する当為、この知的な自我のなかにおいて、それは主人公の規範的な心理学として客観化される。経験的な自我においては当為はあくまで当為にとどまるのである。その力はただたんに心理的な力にとどまり、魂のほかのさまざまな要素と、その種類を同じくする。当為の目標設定は経験的なものであり、人間あるいは環境によってあたえられる、ほかのさまざまな可能な努力と種類を同じくするのだ。その内容は歴史的内容であって、時の流れによって生みだされた、ほかのさまざまな内容と同質であり、それが成長した大地から引きはなしようがない。それは枯れ果てることがあっても、新たに、宙に漂よう現存在へとは、とうてい目覚めえないのである。当為は生を殺す。そこで演劇の主人公は、生の明白な現象を象徴的な持物として身に帯びるのである。それはただ超越を死とみたて、象徴としての葬儀をとりおこない、明白に目にしうるものにかえるためなのだ、しかし、叙事文学の人間たちは生きなければならない。さもなくばかれらを担い、取り巻き、満たす要素を引き裂くか、あるいは損ねてしまう。(当為は生を殺す、そして概念はすべて対象の当為を表現する。それゆえ思索は生の現実的定義とはとうていなりえないし、ゆえに芸術哲学は叙事文学よりも、おそらく悲劇にそれだけいっそうふさわしいのである。)当為は生を殺す。それゆえ当為としての存在から組み立てられた叙事詩の主人公とは、必ず歴史的現実のなかに生きる、人間の影にすぎないのである。その影ではあっても、とうていその典型ではありえないのだ。主人公に体験として、あるいは冒険として課せられる世界は、実際の世界のあまい隈取りであっても、その核心、その精髄ではとうていありえない。ユートピア的叙事文学の様式化は、ただ距離を創造しうるにすぎないが、しかしこの距離もまた経験と経験とのあいだの距離にとどまる。そしてその隔たり、その隔たりの悲哀、その隔たりの気高さも、ただ響きを修辞的響きにかえるにすぎないのである。なるほど悲歌に似た抒情詩の、またとなく美しい果実を結ぶことはあろうが、しかし、ただたんに距離をおくことからは、存在をこえてゆく内容が、溌溂とした生に目覚めることはありえないし、とうてい独立した現実に変わることはありえない。この距離の示すのが前進であれ後退であれ、それが生にたいして描くのが上昇であれ下降であれ、それはとうてい新たなる現実の創造とはならない。それはあいもかわらぬ、すでに存在する現実性の主観的反映にすぎないのである。ウェルギリウスの主人公たちはひややかで落ち着いた影の生をいとなむが、それは永遠に消え去ったものをよびもどすために、みずからを生贄とした、美しき熱情に養われる。そしてゾラの作りあげた記念碑は、現在の生は知りつくしたとうぬぼれる、社会学的範疇体系の多様ではあるが、見通された一分枝を前にしての、短調きわまりない感動にすぎないのである。"(同pp.44-46)

 ルカーチは理念と現実の最大の相違を時間におく。叙事詩および演劇は無時間的だ。時間は本質を規定するものであり、それに形式を用いるが、時間体験は価値を担うものとしての叙事詩と意味を見放されたものに区分される。
 また、ジョルジュ・プーレは『人間的時間の研究』で、19世紀の小説は、時間が精神的に知覚された当時において内的時間と外的時間の統一を試みており、それは、後期ロマン主義において、持続のなかに存在する自己を創造することの無力さを自覚させ、非創造の念願を発生させたと述べている(ジョルジュ・プーレ『人間的時間の研究』井上究一郎他訳、p.38)。また、その端点にベルグソンの思想を位置づけている。ベルグソンは『時間と自由』において、《持続》を記号的表象としての等質的持続と根底的自我との融和として定義している(アンリ・ベルグソン著『時間と自由』中村文郎訳、p.167)。
 さて、現実とフィクションの二重性を肯定的に認識したのち、川口は森下からどのようなマンガがかきたいか尋ねられ、答えに窮する(『まんがの作り方』第1巻、pp.148-149)。川口が思考に沈潜したのち(同p.149)、なにもおこらない時間がえがかれる。エビグラタンを注文し、それが配膳されるまでのなにもおこらない時間の経過が、見開きの2ページの紙幅と対応して描写される(同p.150-151)。そののち、ついに川口は森下に創作のために交際していたことを間接的に告白する。が、森下は気にしない。"「でも私がさ まんがのネタ探しのために森下と一緒にいるんだって言ったら やっぱり怒るでしょ?」「いただきます なんでわざわざそんなこと?」「なんでっていうか… 流行ってんじゃん ガ(ールズラブ)」「(吹出しを重ね)わたしは気にしないですよ」「なんでもいいですよ 先輩がわたしといてくれるんなら」「むしろ嬉しいです」"(同pp.152-153)。そこで、153ページの6コマ目から154ページの1コマ目のカッティングで、ページをまたぐ劇的さをともない、180度の切返しがおこなわれる。川口はひとこと"「よかった」"という(同p.154)。ここが本巻でもっとも劇的なシーンだろう。ここで、川口と森下との関係における、創作のためという目的によるものという緊張が解消され、同時に、現実とフィクションの位相差にたいする不安が解消される。
 150-151ページの作中の時間と紙幅との一致、ウンベルト・エーコのいう物語の時間と言説の時間、読書の時間(ウンベルト・エーコ『小説の森散策』)、あるいはジェラール・ジュネットのいう物語内容(イストワール)の時間と物語言説(レシ)の時間(ジェラール・ジュネット『フィギュールⅢ』)との一致は、いわば理想の顕現だ。ジョルジュ・プーレは『人間的時間の研究』でギュスターヴ・フローベールについて、『ボヴァリー夫人』の一場面を題材にその瞬間を分析している。そして、フローベールにあってはその持続における過去との時間の隔絶による断絶が、過去が一連の思い出=情景(souvenirs-tabletax)という映像の行列として、精神によって系列化されることで解消すると控えめに提唱している。

"理念と現実とのあいだでもっとも大きくくいちがっているもの、それが時間である。すなわち、持続としての時間の流れなのである。主観性がみずからを証明する力をもたないことを、もっとも深刻に、もっとも屈辱的にあらわすのは、理念を欠如する社会的形態や、その化身としての代表的人物との、空しい戦いにおいてではない。それはむしろ、主観性が緩慢でとだえることのない時の流れに抗しえず、ようやくにして征服した頂きから、徐々に、しかもとめどなくずり落ちてゆき、このとらえようのなく目にとらえがたく動くものが、主観性からそのいっさいの財産を徐々にもぎとり――いつのまにか――主観性に異質の内容を押しつけてゆくところ、その点なのだ。それゆえ理念の先験的な故郷喪失の形式である小説だけが、実際の時間、すなわちベルグソンのいう「持続」を、本質規定的原理の系列のうちへ取り入れるのである。演劇は時間の概念を知らないし、すべての演劇は正しく理解された場合の三一致の法則に(その場合の時間の統一とは、時の流れから取り出された時間を意味するが)従うことを、わたしはすでに別の関連において論証したことがある。たしかに叙事詩は時間の持続を知るかにみえる。『イーリアス』と『オデュッセイア』の十年間を考えてみるだけでよかろう。しかし、この時間もひとしく現実性を、あの真の持続をもたない。人間と運命はあくまでも時間の手にふれることがないのだ。かかる時間はみずからのうちに固有な動きをもたないのである。かかる時間の役割はある冒険の偉大さとか、ある緊張の大きさなどを目立つように表現することでしかない。トロイアの占領が何を意味するのか、オデュッセウスの遍歴が何を意味するのであるか、聴き手が体験するために、かかる十年の年月は欠くべからざるものなのであり、それは同じく多数の戦士が余儀なくさまよった、大地の表面が欠くべからざるものであるのと、なんらかわるところがないのだ。しかし、英雄たちが作品の内部において時間を体験することはない。かれらの内的変化、あるいは不動の内面に、時間の手がおよぶことはありえない。かれらはみずからの年齢をすでに性格の一部としてもつのである。ネストールが年老いているのは、ヘレナが美しく、アガメムノンが力強くあるのとかわるところがない。叙事詩の人間たちもまた、老いゆくこと、死などの、あらゆる生の痛ましい認識をもつことはあるが、しかし、それもまたただたんなる認識に終わるのである。かれらがいかなる体験をし、かれらがどのような体験をしようとも、それは神々の世界にひとしく、幸福な、時間をはなれた世界の出来事なのだ。ゲーテ、シラーによれば叙事詩にたいする規範的な立場とは、完全に過去となってしまったものにたいする立場である。ここであたえられる時間は、それゆえ停滞しており、一望のもとに見渡される。作者と人物たちはこの時間のなかを、あらゆる方向にむけて自由に動きまわれるのである。かかる時間はすべての空間がそうであるがごとく、次元をもつことはあっても方向を知らない。そして同じくゲーテ、シラーによって認識された、演劇のもつ規範的現在性なるものは、グルネマンツの言葉をかりれば、時間を空間にかえるのである。そして近代文学が完全に方向を喪失してしまってはじめて、発展を、徐々にすすむ時間の流れを、演劇的に表現しようとする不可能な課題が提起されたのである。
 時間は先験的故郷との結びつきがとだえてしまったときはじめて、本質規定的なものとなりうる。恍惚は神秘主義者を、持続と時間の流れすべての停止した領域へと高めるが、かれは被造物として有機的に制約されているがゆえに、やむなく時間の世界へ下降する。親密に、目にはっきりうつるものとして、本質に結びついている形式は、かかる必然性を先験性(ア・プリオリ)にまぬかれた宇宙を創造するのだ。本質を探究すべきなのはただ小説のみであり、本質を見出しえず、そのことを素材とする小説においてのみ、時間は形式とともにおかれるのである。かかる時間とはただ生命あるものにすぎない有機性が、現存する意味に逆らって反抗することであり、生がみずからの完全に閉ざされた内性のうちに、とどまろうと意欲することである。叙事詩においては意味の生内性があまりにも強力であり、時間はそれによって止揚される。生は生としてそのまま、永遠性のなかへ入りこんでしまうのだ。有機体はただ開花を時間のなかからもたらし、花がしぼみ死のいたることをことごとく忘れさる。小説において意味は生から区別されるが、それによって本質的なるものが時間的なものから区別される。小説の内的筋(ハンドルング)とはことごとく、時間の力との闘争にほかならぬとまで、言いきれるのである。幻滅のロマン主義にあっては時間は堕落の原理なのだ。詩、すなわち本質的なるものは死滅しなければならず、この衰弱の究極の原因になるのが時間である。それゆえここにおいては、価値はことごとく消滅するがゆえに、色褪せる青春の性格を保つ土台としての部分の側にあり、時間の側に粗野なもののすべて、理念を欠如した厳しさがくる。そして没落してゆく本質に自己嘲笑が向けられても、それは勝ちすすむ力による、一面的な抒情的征服にたいするあとからの訂正にすぎないのである。本質はいまひとたび青春という属性を身にまとうが、それは新たなそしていまや忌まわしいものとなってしまった、意味においてなのだ。すなわち理想はただ未成熟な魂の状態にとってのみ、本質規定的なものかとみえるのである。しかし、この闘いのなかで価値と無価値とが、二つの側面のあいだであまりにも鋭く区別され、分割されることになるなら、小説の全体としての組み立てもゆがまざるをえない。形式は生を先験的(ア・プリオリ)にその領域からしめだしうるときのみ、生の原理を実際に否定しうるのである。生の原理をみずからのうちに受け入れる羽目になるなら、それは形式にとって肯定的なものとなっていたのだ。価値は生の原理の抵抗を前提とし、生の原理の本来の実在を前提として実現されるのである。"(『小説の理論』pp.119-122)

"かくて、宇宙的生命と同化するということは、多様な物と、人間がそれらの物について抱く多様な表象像とを無差別に包含しつくす体の神のごとき拡がり、そのなかへ溢れ出てゆくことである。思惟と外界とはここに同じ一つの拡がりとなる。《存在の多様性という点で、ぼくはインドの大森林のようなものだった。そこでは原子のひとつひとつに生命が脈うっている…》が、生命は多様性であるがゆえに、その多様に変化する動きのなかでしかとらえられない。感覚的思考作用が表象の場全体にわたって展がりうる一点、そこに到達するだけでは充分ではないのだ。さらにこの点に立ちつつ、現在という時間内容を持たないこの点から逸脱することなしに、魂は「この生命全体のなかで生きて、そのあらゆる形を身によそいつつ、あらゆる形とともに持続し、絶えず多様に変化しながら、永遠の太陽をめざして絶え間なく自己の変身を押し進めて」行かなければならない。生命とは持続である以上、生命を絶対的に表現する瞬間は瞬間=持続(moment-duree)でなくてはならない。さて、フローベールがこの特殊な瞬間の持続性を感じとるのは、「おお、うれしい! うれしい! うれしい! わしは見たのだ、生命がここに生まれるのを、運動がここにはじまるのを見たのだ」というふうに、物の起源を目のあたり直観的にとらえたときである場合もあるが、それよりもむしろ、なにか深い感銘を与えるような事件をきっかけとしてこの特殊な持続性が作品中に描かれる場合のほうがいっそう多い。つまり、感覚が物の生命一般と符合するあまりに、一方がいわば他方の比喩的表現となるような瞬間があって、そこでは、自分が生きていると感じることは、生命一般が生きていると感じること、時間持続の脈がうつのを感じることと同じになる。『ボヴァリー夫人』のなかの肉体関係の場面がその好例だ。《あたりは静かだった。しっとりした気配が木立ちからただよい出るようだった。彼女は心臓がまた規則正しく動悸を打ちはじめるのを感じ、血があたたかい乳の流れのように体内にめぐるのを感じた。そのとき、はるか遠く、森のかなたのどこか向こうの丘の上で、何とも知れぬ、長く尾を引く叫び声、哀調をおびた声が聞こえた。まだ興奮のさめやらぬ神経のふるえの余波にとけ込んでくるその声は、音楽のようにこころよく、彼女はしみじみと聞き入った。》この一節で、フローベールはある一つの瞬間に、まったく特殊な空間的、時間的濃密性を付与するに至っているため、(おそらくこれこそフローベールが生み出したかった効果なのだろうが)この瞬間は日常普通の時間持続とは異なった次元の持続――物のテンポがいっそう穏やかにゆるやかであり、そのためにいっそうまざまざと感じとることができるような持続、いわば伸び拡がる持続に属しているかに思われる。あたかも時間は吹き過ぎる微風に似て、ふたたび打ちはじめた動悸のなか、乳の流れのようにめぐる血のなかに感じられるかのようだ。ここにはもう、外界との隔たりが深まってゆくという苦い意識はない。隔たりはもう存在しないのだ。ここにあるのはもはや、事物とそれを感じる人間とが一体となって滑ってゆく動きと、この瞬間の内容を構成するさまざまな要素の間にある絶対的な同質性の感じとだけである。感じる人間、彼の肉体、そして風景、自然、生命、すべてが同じ生成途上の同じ瞬間を領ち合い、共にするのである。"(ジョルジュ・プーレ著『人間的時間の研究』山田𣝣他訳、pp.348-349)

 そして、そうして現実とフィクションの二重性を認識していれば、理念をそれじたいとして描写することはない。よって、川口と森下との関係における緊張が解消されたのちも、それがそのままロマンスとして発展することはない。"〈だからこういうのもうイミないんだって!〉〈森下といてネタになるようなまんが描いてないしね!〉"(『まんがの作り方』第1巻、p.156)。
 平尾アウリは東京マンガラボのインタビューで、『まんがの作り方』のギャグマンガらしからぬ安定した進行、具体的にはデフォルメの使用の抑制や、風景ショットのインサート・カットについて尋ねられ、時としてカット間につながりのない映画の文法のことを挙げている。言うまでもなく、しばしば人物の登場に久米田康治のいうところの《四段ぶち抜き》を用い、マンガ用トーンを使用する平尾アウリが実写を志向しているわけではない。また、風景ショットのインサート・カットはエスタブリッシュ・ショットとして、マンガでも一般的に用いられるものだ。しかし、コマの大小による感情表現の強調を抑制して、コマ割りのテンポを保つ。また、ロング・カットに相当するおなじ構図のコマを並置して、時間経過をしめすというマンガ的表現は、第1巻では132ページの4-5コマ目しか用いていなく、第2巻では、130ページ1-2コマ目、137ページ4-5コマ目と他2箇所で用いているが、130ページではズーム・アウト、137ページではドリーによってカメラをわずかに動かしている。また、180度切返しショットをしばしば使用する。エスタブリッシュ・ショットではまま俯瞰ショットを用いるものの、構図を意識させず、ロング・ショットおよび会話シーンのバスト・ショット、アイ・ポジションを原則とする。これが意図された演出であることは、未発表作品である『4月1日』を、いささかの照れをもった本人による作品解説とともに、それを表題に掲げる作品集で読むことのできるいま、多くのものが知っている。小津安二郎が戦後まもないころ、『風の中の牝雞』を撮ったというフィルモグラフィーを知っているもののように。こうした、誇張表現の抑制を、とくにデフォルメの使用を避けていることをもって、映画的だと断じることは簡単だろう。
 しかし、その映画的なるものは、現代の映画を指しているわけではない。正確には、アメリカ古典映画と、そのコードの意識的な違反だ。
 黒沢清は、蓮實重彦との対談に寄せた文章で、アメリカ映画の変質の起点を1997年、タランティーノが『ジャッキー・ブラウン』を、スピルバーグが『アミスタッド』を、イーストウッドが『真夜中のサバナ』を撮った年においている。

"ところで、ひょっとすると、これはいわゆる映画のデジタル化をどれくらい上手に取り入れるか、という問題に還元できるかもしれません。アメリカ映画のしたたかな監督たちは、ほぼ例外なく全員、いつの間にかちょっかちデジタル技術を取り入れていて、それが売りになろうがなるまいが素知らぬ振りを決め込むことに長けているようです。この点で、アメリカ以外の国の監督たちが大きく水をあけられていることは事実でしょう。リュック・ベンソンもパク・チャヌクもチャン・イーモゥも三池崇史も、懸命にデジタルに取り組んではいますが何か心もとない。と言うか、彼等の中のどこかに、デジタル化した言いわけが企画全体から立ち上がっているような、明らかな気負いと後ろめたさがあるようです。それに較べて、イーストウッドなどは本当にあっけらかんとデジタル化によって作りこんだ画面を導入する。……フォードでもホークスでもヒッチコックでも構いませんし、オルドリッチでもイーストウッドでもいいのですが、彼らの作品一本の長さが仮に一〇〇分だとして、その内のほぼ九〇分以上を占めているのは実は「見詰め合った瞳」なのだと知って、映画の奇跡に胸を打たれる人よりも、その欺瞞に怒りを露わにする人の方が断然多いのではないかと思います。ヒッチコックが映像の魔術師だとか、よくもまあ言ったものです。彼の映画のほとんどの部分は、俳優たちが見詰め合ってしゃべっているシーンばかりなのに。つまり、映画とはおおよそ、俳優の科白によって伝えられる物語を観客が享受することで成立している、そういう表現形式のようなのです。そして、科白は会話というダンドリで行われ、会話の最中ほとんどの場合俳優たちが見詰め合っています。だから僕たちが一本の映画を見たと言うとき、その九割は見詰め合った瞳を見ている。にもかかわらず、それは実は撮影できない!……何だそれは?……いや、このように言い換えた方がいいかもしれません。見詰め合った瞳は本当は撮影できないからこそ、見詰め合っているかのように一見みえる俳優たちによって語られる言葉は、しゃべる人間を映した生々しい映像というものをうっちゃって、どこか遠いところから響いてくるナレーションのような役割を持つ。そして、ここに強力なフィクションを観客に伝達する力が生まれるのであり、単なる映像がこうして「豊かな物語性」を獲得したことによって、こんにちの映画が成立したのだ、と。……いや、何を隠そう僕だってしょっちゅうやります。役所広司と荻原聖人が見詰め合ったり、西島秀俊哀川翔が見詰め合ったり、オダギリジョー浅野忠信が見詰め合ったり、中谷美紀豊川悦司が見詰め合ったり、香川照之小泉今日子が見詰め合ったりして、そこから立ち上がる何やらえも言われぬ物語性らしきものを、ちゃっかりその作品の主題ででもあるかのように後のインタビューで語ってみせたりしている。やれやれ、自分のことについては何ともお恥ずかしい次第ですが、しかし映画における顔の切り返しが、他の芸術にはない独特の表現形式であることもまた事実なのでしょう。だから誰もが小津に心酔します。キアロスタミの車中の正確な見詰め合いの方が、ラース・フォン・トリアーの乱雑な見詰め合いよりずっと映画的であると直感しもします。しかし一方で、どうでしょう、溝口、ドライヤー、アンゲロプス、相米エドワード・ヤンジャ・ジャンクー……彼らの作品はやっぱりすごい。凡庸な見詰め合いや会話劇を撮らない彼らこそ本当の映画作家だと断言していいとさえ思います。そして、これなら日本ででもできる! だから僕もやってみた。案外うまくいった。海外の映画祭などにもぽつぽつと呼ばれるようになった……。"(蓮實重彦黒沢清『東京から』pp.161-167)

 そのデジタル化とは、マイク・フィギスが『デジタル・フィルムメイキング』でデジタルカメラの特性として、フォーカスの問題がなくなり役者が自由に動ける、モニターの設置によるカメラマンとビューファインダーの分離、およびカメラの小型化によりカメラが自由に動ける、暗くても写り、また照明を設計しなくても明度を自動調整する、ポスト・プロダクションでカラーバランスの設定ができる、編集ソフトの導入により編集機と技師が不要になり、監督みずからが編集できる、などと挙げるもの、つまり撮影の簡易化をもたらすもののことだろう。
 蓮實は『ゴダール マネ フーコー』で、"モンタージュとは、つなぎ(ラコール)を通じて、カッティング〔切断〕と偽のつなぎ(フォ・ラコール)を通じて、〈全体〉なるものを規定することである(ベルクソンの第三の水準)。"(ジル・ドゥルーズ著『シネマ1』財津理、齋藤範訳、p.54)という、やはりベルクソン公準としたドゥルーズの『シネマ1』を引きつつ、フーコーの『言葉と物』に基づき、同著者の講演『マネの絵画』の失敗の原因を指摘するとともに、映画が物象化されたものでしかないことを説明する。そして、そこにはフーコーが『言葉と物』で〈もはやわれわれは存在しない〉といったように、もはや〈人間〉は存在しない。

"小林康夫の指摘を待つまでもなく、彼の『マネの絵画』はあらゆる意味で「失敗した試み」である。だがそれは、小林氏がいうように、フーコーが《侍女たち》で「インファンスの身体をあえて見ないようにしている」ように、《フォリー・ベルジェールの酒場》の「無の表面で輝くバーメイドの身体の輝き」を見なかったことのみからくるのではあるまい。「表象の関係」という見えてはいないものにしか興味がないフーコーは、可視的に表象されているバーメイドの肉感的な肖像になど、いかなる関心もいだいてはいないはずだからである。とはいえ、であるがゆえに、彼がエドワール・マネについて語りそびれたのではない。フーコーは、マネにかぎらず、「われわれにとってまだ同時代であるもの」としての一九世紀についてはほとんど何ひとつ語ってはいないのであり、それは、彼の提起する「考古学」の限界だとはいわぬまでも、それがあらかじめかかえこんでいる論理的な不可能性にほかならない。彼は、エドワール・マネとともに、「われわれにとってまだ同時代であるもの」という現実の中に位置しており、ほとんど自分自身でありながら同時にほとんど自分自身ではないマネを語ることで、いかなるフィクションも始動させえなかったのである。それは、ことによると、ジル・ドゥルーズとは異なり、ミシェル・フーコーが映画についてほとんど何ひとつ発言しえなかったことと通じているかもしれない。『マネの絵画』に収録されたシンポジウムの発言者のほとんどが、美術史的な視点からのフーコーのテクストのいささか困難な擁護に言葉を費やし、できればこれを読まずにすましたかったという視点がまったく感じられないのは、「われわれにとってまだ同時代であるもの」に対する畏怖の念が彼らに欠けていたからとしか思えない。例えば、「"ああ、マネね……"――マネはいかにして《フォリー・ベルジェールの酒場》を構築したか」のティエリー・ド・デューヴのように、フーコーの提案をいくぶんか修正しつつ、背後の鏡をしかるべく傾けさえすればバーメイドの右隅の後ろ姿は容易に正当化されうるということは、フーコーを読むにあたって何ら有効な指針とはなりがたい。手前におかれた品々がほとんど反映していないと指摘するフーコーが気づいていたように、バーメイドの背後にあるのは、鏡というよりは空間を極端にせばめる壁にほかならないからだ。そして、「われわれにとってまだ同時代であるもの」にふさわしい映画においてなら、セットの鏡などいつでもとりはずして壁に置き換えて撮影することができるし、本書「鏡とキャメラ」の章で見たゴダールの自画像のように、キャメラとモニターの位置ひとつで、こちら側を向いているわけではない人物の表情を、あたかもこちらを向いているかのようにスクリーンの枠内に浮かび上がらせることさえいくらでもできるのである。《フォリー・ベルジェールの酒場》について、映画的な視点から論じた文章がまったく存在しないわけではない。宇野邦一の「フレームという恐ろしいもの」(『映像身体論』みすず書房)がそれである。だが、ドゥルーズやノエル・バーチにしたがい、小津安二郎における交わらない視線との関係でマネにおけるバーメイドの後ろ姿の「ずれ」を語ろうとするこの文章は、ほんの思いつき程度の貧しい発想をいささか大袈裟に論じたてただけのものにすぎず、その言葉は、小津安二郎にもエドワール・マネにもとどいてはいない。実際、小津において「誰でも異様な印象をうけるにちがいないことのひとつ」は、「視線の方向が、まったくちぐはぐな、あの型破りなモンタージュである」という宇野氏の粗雑な指摘は、誰もがそこで読むのをやめてよいと判断するに充分なものである。というのも、小津の切り返しショットにあって、視線の方向が「ちぐはぐ」であったことなど一度としてないからである。誰もが知っているように、小津の視線は、あらゆるショットにおいて一貫しており、ノエル・バーチが問題としたのも、その一貫性が誘発する「つなぎ間違い」の印象にほかならない。いうまでもなく、映画における「つなぎ」は、視線の交錯をめぐるものにつきているわけではない。動作の「つなぎ」もあれば、時間と空間――持続と瞬間、部分と全体、画面外と画面内、等々――の「つなぎ」もあり、それらを「つなぎ」一般として、あるいは「つなぎ間違い」一般として論じることにはいささかの理論的、かつ実践的な困難がともなう。『映像身体論』の著者である宇野氏はその困難にいたって無自覚なのだが、そのことから導きだされる好ましからぬ帰結については論じておかねばなるまい。いずれにせよ、少なくとも視線をめぐる「つなぎ」に関するかぎり、それは目に見える瞳と異なり、あくまで不可視の対象でしかない視線が、それそのものとしてはフィルムに映らないという現実を前提としている。キャメラは、交わる視線に対しては徹底して無力なものであり、一般に「正しいつなぎ」として受けいれられているハリウッド流のアイライン・マッチの原則とは、「正しさ」や「間違い」とはいっさい無縁のたんなる撮影作法にほかならない。そのほうがより「自然」に見えそうだというだけの理由で、多くの映画作家がひとまず従っているいわば「制度」にすぎないのだから、厳密には「正しいつなぎ」も「誤ったつなぎ」も存在しないというべきだろう。実際、小津安二郎独特の一八〇度の「切り返し」ショットが「つなぎ間違い」――あるいは「誤ったつなぎ」――として論じられるのはごく稀なことである。それをあえて論じてみせた例外的な一人であるノエル・バーチにしても、それを「誤った」とは断じておらず、その形容詞「誤った」をひとまず括弧で括り、「"誤った"アイライン・マッチ("bad"eyeline match)」とことさら語調を緩和せざるをえない。それを間違っても「誤った」とは呼べないことを、このアメリカの映画理論家もよく承知しているからだ。ところが、バーチの書物のフランス語訳で、「"誤った"アイライン・マッチ」という表現が「"誤った"つなぎ(«faux»raccord)」という言葉に置き換えられてしまったことから、バーチの原著を読んでいないらしい宇野氏の理論的かつ実践的な混乱が始まる。事実、『映像身体論』の著者は、ノエル・バーチが「"誤った"アイライン・マッチ」とわざわざ括弧つきで呼ばざるをえなかったものを、ジル・ドゥルーズが『シネマ1 運動イメージ』で括弧をつけずに「誤ったつなぎ(faux raccord)」と呼んだ現象と同じものだと判断してしまったのである。宇野邦一は、おそらくはノエル・バーチの書物で小津を論じた部分に拠りながら、小津の「切り返し」を「しばしば"誤ったつなぎ"といわれるモンタージュ」だとして論を進めるのだが、それはまったくの「誤り」である。すでに指摘したように、バーチはわざわざ「"誤った"アイライン・マッチ」と留保をつけているのであり、だから、括弧によるその語調緩和を考慮することのない宇野氏自身をのぞいて、これを「誤ったつなぎ」と性急に断じてしまった理論家は皆無だといわざるをえない。もちろん、小津の「切り返し」を「大胆な冒険」と呼んでいるジル・ドゥルーズも、それを「誤ったつなぎ」だなどと断じて論を進めていたりはしない。彼が『シネマ1 運動イメージ』で「誤ったつなぎ」に言及しているのは、交錯する視線の「つなぎ」ではなく、より本質的に映画の存在論にかかわるものだともいえる時間と空間の「つなぎ」にかぎられている。実際、ドゥルーズが「誤ったつなぎ」の中には映画固有の問題がひそんでいそうに思うと述べるとき、宇野氏が軽率にも「誤ったつなぎ」だと思いこんでしまった小津の「切り返し」のことなどまったく想定されてはいない。そこで問題となっている映画作家は、時間と空間の「つなぎ」、つまり、持続と瞬間、部分と全体、画面外と画面内、等々の関係をモンタージュとして視覚化してみせたセルゲイ・エイゼンシュテインであり、その対極にあるワンシーン・ワンショットとして視覚化してみせたカール・Th・ドライヤーなのである。宇野氏もひいている「誤ったつなぎとは、それだけで"ひらかれたもの"の次元であり、総体とその部分から逃れている」という言葉は、まさにエイゼンシュテインとドライヤーについていわれたもので、小津とはいっさい無縁である。にもかかわらず、宇野氏は、あたかもドゥルーズに勇気づけられたかのように、小津の「切り返し」を「誤ったつなぎ」だと確信しつつ論を進め、あげくのはてに、「誤ったつなぎ」という「誤った」概念を小津からエドワール・マネへと拡張しようとする。これが「ほんの思いつき程度の貧しい発想」でなくて、いったい何だというのか。"(蓮實重彦著『ゴダール マネ フーコー』pp.119-124)

 つぎにロマン主義的なものの前景化するとき、第59話で武田が政人に自分がマンガをつづけることを人質に、川口と森下に別れるように脅すことを提案される。しかし、最終話の第61話で武田はそれを実行しないことにきめる。"(「漫画描かない」って言えなかった)(言いたくなかった)"(同第8巻、p.118)。ここでもまた、現実の人間関係とのかかわりにおいて、フィクションがそれじたいとして認識される。しかし、川口と森下とは異なり、武田の好意が報われることはない。だが、最終話の雰囲気はあくまでもあかるい。そして、川口、森下、武田、政人の4人は仕事部屋を離れ、卓球場におもむく。
 テオドア・アドルノは『否定弁証法』で、ルカーチの『小説の理論』はカール・マルクスが『資本論』第1巻でおこなった弁証法唯物論を発展させた『歴史と階級意識』の物象化論が用いられていると述べている。
 アドルノは『否定弁証法』で、マルクスヘーゲルにたいし、歴史的な生の客観性を自然史の客観性として認識したと述べている。ヘーゲルの超越論的主観はすでに主観を離れており、歴史を神格化していた。マルクスはいわゆる〈自然法則〉を神秘化〔Mystifkation〕と呼び、資本主義社会の法則にすぎないとして批判した。それは弁証法唯物論の試みだ。交換が可能なのは生活に社会的な仮象が内包されているからであり、いわゆる自然もこのうえにあり、よって、自然法則は存在しない。この仮象イデオロギーだ。自然法則は廃絶できるものであり、存在論化してはならない。それは、交換価値という社会関係を物そのものの価値だと思わせる物神性に端的にあらわれている。しかし、ヘーゲルは『法哲学講義』ですでに理論が大衆をとらえたときに、虚偽意識に先立つ構造として認識されることを指摘しており、〈自然によって(フュセイ)〉存在するものの概念を、〈人為によるもの(テセイ)〉の対概念を定義していたものにまで拡大する。アドルノヘーゲルの〈世界精神〉はこの自然史のイデオロギーである第二の自然だとしている。

"商品が社会的存在全体の普遍的カテゴリーである場合にのみ、商品はその偽りのない本質的あり方において把握されることができる。このような連関のなかではじめて、商品関係によって生じてくる物象化は、社会の客観的発展に対しても、この発展に対する人間の態度に対しても、決定的な意味をもつようになる。すなわちこの物象化は、物象化がそこに表現されている諸形態に人間の意識が従属させられるということに対しても、またこの物象化の過程を把握したり、物象化の人間を破滅させる作用に反抗したり、その作用のために生じた「第二の自然」のもとに隷属している状態からみずからを解放しようとしたりする人間の試みに対しても、決定的な意味をもつようになるのである。マルクスは物象化の基本的現象を次のように述べている。「したがって商品形態の秘密は、ただたんに次のことのうちにある。すなわち、商品形態は人間に対して、人間自身の労働の社会的性格を、労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働に対する生産者たちの社会的関係をも、諸対象のかれらの外に存在する社会的関係として反映させる、ということである。このような置き換えによって、労働生産物は商品となり、感覚的であると同時に超感覚的である物、または社会的な物となる……。ここで人間にとって諸物の関係という幻影的な形態をとるものは、ただ人間自身の特定の社会的関係でしかないのである。」"(ルカーチ・ジョルジュ著『歴史と階級意識城塚登他訳(所収『ルカーチ著作集』第9巻、p.166))

"これは、西欧の自然神話がこれまで人間に教えてきたことにほかならない。ヘーゲルは、歴史哲学がどうすることもできない一種の自動書式にしたがって、自然や自然の威力を歴史のモデルとして引き合いに出す。しかし、それらが哲学の中で発言権を持つのは、同一性を措定する精神と盲目的自然の呪縛とが、精神を否定する点において同一だからである。この深淵を覗き込みながら、ヘーゲルは世界史の主役である国家の働きを「第二の自然」と感じたのだが、しかし不埒にもそれと手を組んで、そのただなかで第一の自然を賛美した。《法の基盤は総じて精神的なものであり、その位置と出発点は、自由な意志である。したがって自由が法の実体と規定を形づくる。そして法の体系は、実現された自由の国、精神が自分自身の内から第二の自然として造り出した精神の世界である。》ルカーチの『小説の理論』において、はじめて哲学的に再び取り上げられたこの「第二の自然」は、しかし、何らかの仕方で第一の自然と考えられたものの陰画(ネガ)である。それは本当は人為的なもの(テセイ)で、たとえ個々人によってではないにしてもその機能連関によってはじめて産み出されるものなのだが、市民的意識にとって「自然」とか「自然的」と言われるものの印綬を奪い取って自分の身に着けている。意識の外にあるものは、全面的媒介を逃れられない。それ故に、意識にとって自分とは別のものという意味をもつものは、囚われているもの以外にはなくなってしまう。これこそ観念論の根本現象である。社会化が人間と人間関係の直接性の全契機を容赦なく我がものにするにつれて、社会の複雑な仕組みが生成したものであることを思い出すことはますます不可能になり、自然という仮象はますまず抗い難いものになる。人類の歴史が自然から遠ざかるにつれて、この仮象はさらに強まり、「自然」がこの囚われの身を示す不可抗的な比喩となる。若いマルクスは、二つの契機のとめどもない絡み合いを力をこめて次のように言い出したが、それは教条主義唯物論者たちを刺激せずにはいないだろう。《われわれはただ一つの学問しか知らない。それは歴史の学問である。歴史は二つの側面から考察することができ、自然の歴史と人類の歴史に分けることができる。しかし、この二つの側面を分離することはできない。人間が存在する限り、自然の歴史と人間の歴史は相互に制約し合っている。》自然と歴史とを対立させる伝統的な考えは、真であるとともに偽である。それが自然的契機の上に振り掛かったできごとを言い表している限り、この考えは真である。しかし、歴史そのものによる、歴史の自然発生性の隠蔽を、歴史の概念的採光性によって護教論的に反復している限り、それは間違っている。"(テオドール・アドルノ著『否定弁証法木田元他訳、pp.454-455)

 『推しが……』と『私のアイドル』においては、アイドルという仮象と実体の位相差がギャグになっている。『私のアイドル』はいわゆる百合営業を題材とし、聖夜に好意をもつ七奈が百合営業をもちかけるが、聖夜が舞台に慣れてからは百合営業が統語論的なものでしかない、ただの演技になり、七奈が逆ギレするというのがオチだ。"「ビジネス百合」「ビジネス百合…!?」「そう メンバー同士がイチャイチャしてるだけでファンの人は喜ぶの!」「だから聖夜ちゃんも私に堂々と! イチャイチャしにくればいいの!」「本番中に!? でもそんなの許されるんですか!?」「許されるも何も…そうした方が売れる!」"(『私のアイドル』(所収『エクレア』p.270))。
"「見てないからいいんじゃん」「えー? いみないじゃないですか~」「!! 私のことビジネスでしか愛してない!!」「七奈ちゃんが…それでいいって言ったから…!」"(同pp.271-272)。最後のコマにギャグキャラクターとしてえがかれる《エル・グレコの受胎告知》は、ジャン・ルイシェフェールが『エル・グレコのまどろみ』で語る、エル・グレコから宗教画としての意味論を剥奪する、以下のような解釈が妥当するだろう。"それに、わたしとしたことが、エル・グレコにひとりの神秘画家を見ない書物が一冊くらいはあってもよいではないかと望んでいた。あれはバレスやコクトーやドヴォルシャックが溺愛したグレコ観である。わたしはそれにまったく意味がないと思っている。絵のなかで多くの人が祈っているように見える。上を見ている、というくらいのことなのだ。"(ジャン・ルイシェフェール著『エル・グレコのまどろみ』與謝野文子訳、pp.10-11)。
 『推しが……』では本来は相思相愛なのに、えりぴよはファンの体裁を、舞菜はアイドルの体裁をまもっていることが基本的なギャグになっている。ここにおけるファンとアイドルの関係は第1話で説明される。"「チラシ配りの時にあんまりお話するのは良くないですから」「あ… そうですよね すみません!」「いやいや決まっているわけでもなくて」「お金を出してこその接触 気持ちいいでしょう?」「1000円で買う推しの5秒 興奮するでしょう?」"(『推しが……』第1巻、p.13)。
 しかし、ここにおけるアイドルという仮象は、営業中と営業外ですがたは異なり、別個の人格が存在するという通俗的な二元論ではない。むしろ、そうしたいわゆる〈実像〉なるものが、仮象となんらかわるところはないという統語論の原理を暴露するものだ。舞菜に玲奈という自分をのぞくはじめての女性ファンがついたとき、その統語論は崩壊しかける。"(舞菜が今までに見たことないくらい楽しそうなんですけど!!)『舞菜にはみんなのものになってもらいたいんだよね』(なんて言っといて今まで舞菜推しが実際にいなかったからわからなかったけど…)「ありがとう! また次も来てね」(私以外に笑いかける舞菜を見るのいやだ―――――)(はしゃぎすぎたかな… えりぴよさんにも見られちゃった…?)「…1枚で」「1枚!?」「1枚!!?」(だってれなちゃんが1枚であれだけしてもらえるんならさあ… 私だって…)「どうしてですか?」「やっぱあと28枚あります」"(同pp.149-150)。
 その後、偶然にえりぴよとプライベートの舞菜は出会うが、上述の理由により、そのことで両者の関係が劇的に変化することはない。しかし、そのとき舞菜が、個人の感情にもとづいていうセリフは統語論から演繹される観念的なものではなく、統語論それじたいを剥きだしにする物質的なものだ。統語論の攪乱は、記号の体系としての統語論を再編成するにすぎない(フェルディナン・ソシュール『一般言語学講義)。"「い…」「いつも… ありがとうございます 握手… しにきてくれて」(そこは「応援してくれて」で「推してくれて」でいいんだよ――――!!)(好き そういうとこ好き)「これからもいっぱい握手しに行く」"(同pp.156-158)。
 ギー・ドゥボールは『スペクタクルの社会』で、仮象を社会すべてにおよぶものとして指摘する。

"5 スペクタクルを、視覚的世界の濫用や、イメージの大量伝播技術の産物と理解することはできない。むしろそれは、物質的に翻訳され、実効性を有するようになった一つの世界観(Weltanschauung)である。それは客体化されてしまった世界についての一つのヴィジョンである。6 スペクタクルは、その全体性において理解すれば、既存の生産様式の結果であると同時にその企図でもある。それは、現実世界を補うものでも、余分に付加された飾りでもない。スペクタクルは、現実の社会の非現実性の核心なのだ。スペクタクルは、情報やプロパガンダ、広告や娯楽の直接消費といった個々の形式の下で、この社会に支配的な生の明示的モデルとなる。それは、生産と、その必然的帰結としての消費において、既になされてしまっている選択を、あらゆる場所で肯定する。スペクタクルとは、その形式も内容も、完全に同じように、ともに現体制の諸条件と目的とを完全に正当化するのである。それと同時に、スペクタクルはこの正当化を常に現前させ、近代的生産の外で生きられた時間の主要な部分を占拠するのである。7 分離とは、それ自体、セカイの統一性の一部である。すなわち現実とイメージとに分断されてしまった全体的な社会的実践(プラクティス)の一部である。自律的なスペクタクルは社会的実践の前に差し出されるが、この社会的実践の方もまた、スペクタクルをそのなかに含んだ現実的全体性である。だが、この全体性のうちに生じた分裂は、スペクタクルこそがその実践の目的だと思わせるまでに社会的実践を損なってしまうのである。スペクタクルの言葉(ランガージュ)は時代に支配的な生産活動の記号から構成されるが、これらの記号が同時に、この生産活動の究極的な目的ともなるのである。8 スペクタクルと実際の社会的活動とを抽象的に対立させることはできない。この二極化はそれ自体、二重化されている。現実を転倒するスペクタクルは現実に生産されている。同時に、生きた現実のなかにもスペクタクルの凝視が物質的に浸透し、現実は、スペクタクル的な秩序に積極的な支持を与えることによって、己れの裡にその秩序を再び取り込むのである。両方の側に客観的現実が存在する。こうして固定されたおのおのの概念は、反対物のなかへの移行だけを己れの基盤としている。すなわち、現実はスペクタクルのなかに生起し、スペクタクルは現実である。この相互的な疎外こそが現存の社会の本質であり、それを支えるものなのである。9 現実に逆転された世界では、真は偽の契機である。10 スペクタクルという概念は、多様な外観を示す現象を統一し、説明する。この多様性や対照(コントラスト)は、社会的に組織された外観が示すさまざまな外観であるが、社会的に組織された外観そのものは、その一般的真理において認識せねばならない。それ固有の観点にもとづいて考察すれば、スペクタクルとは外観の肯定であり、人間的な、すなわち社会的な生を単なる外観として肯定することなのである。しかし、スペクタクルの真理をあばく批評は、スペクタクルとは生の明らかな(visible)否定、眼に見えるもの(visible)となった生の否定にほかならないことを意識する。11 スペクタクルの形成と機能、その解体をめざす諸力とを記述するには、本来分類しえないさまざまな要素を人工的に分離しなければならない。スペクタクルの分析には、ふつう、ある程度までスペクタクル的なものの言語そのものが用いられ、スペクタクルのなかへと自らを表現するこの社会の方法論的領域に入って語られる。だが、スペクタクルとは、実際は、一つの社会-経済的編成体の全面的実践のもつ意味であり、その時間の使い方にほかならない。われわれを捕らえているのは、歴史的時間なのである。"(ギー・ドゥボール著『スペクタクルの社会』木下誠訳、pp.14-19)

"35 スペクタクルの本質的運動は、人間の人間の活動のなかに流動的な状態で存在していたすべてのものを自らのうちに取り込み、それらを凝固した状態で、すなわち、生ける価値を否定的に様式化することによって価値を独占的に体現するモノとして、所有することにある。この運動のなかに、われわれの旧来の敵の姿が認められる。その敵とは、見た目には、何か取るに足らぬあたりまえの事物のように見えるが、実は、逆に非常に複雑で、数多くの微妙な形而上学的問題を含むもの、すなわち商品である。36 スペクタクルのなかにおいて絶対的に完遂されるものは、商品の物神化(フェティシズム)の原理であり、「感覚しうるけれども感覚を超えたさまざまなモノ」による社会の支配である。そこでは、感覚しうる世界は、感覚を超えたところに存在すると同時にすぐれて感覚可能なものとして承認されるよう選択されたイメージに置き換えられている。37 スペクタクルが見えるようにする世界は存在すると同時に不在であるが、その世界は、生きられたものすべてを支配する商品の世界である。商品の世界は、そのようにして、あるがままの状態で示される。というのも、商品の運動もまた、人間を他の人間から、そしてまた自分の生産物全体から遠ざける運動と同じものであるからだ。"(同pp.36-37)

 では、なぜそうした認識で創作をおこなうことができるのか。それは《孤独》による。以下の引用をもって結語に代えたい。

"ここで孤独なものと映るのは、もはや「人間」などではない。実際、悲しみという感情は、遥か以前から人類の資質であることをやめてしまっている。だから、疾走する二匹の犬のいささか唐突なイメージが、ベルリンの壁の崩壊によって二つの国であることをやめてしまった東西ドイツの混乱と、その土地をおおっている孤独や悲しみの映画的な表現などと勘違いすることは許されない。ここで痛ましいまでの孤独な悲しみとして露呈されているのは、間違っても人類の不幸などといった事態ではなく、まさしく切り刻まれたポジのちっぽけな画面そのものとして生き続けるしかないフィルムのたとえようのない孤独、癒すことのできない悲しみにほからない。それは、はからずも生き残ってしまった映画が耐えねばならぬ悲しみであり、映画が芸術として永遠の生命を享受しつつあると信じたりすることとはいっさい無縁の純粋状態の悲しみなのである。いまや、映画は死んだなどという根も葉もない世迷いごとに騙される者はよもやいまいと思う。二匹の犬がそうであるように、映画からは、自死の特権さえも奪われているからである。あたかも社会主義が崩壊したり、西欧が没落したり、歴史が終焉したりすると信じているかのように、映画が崩壊し、没落し、終焉するなどと涼しい顔で公言する者たちこそ、そう口にすることで、あらかじめ世界から姿を消そうとしているかに振る舞うシニカルな連中にすぎない。映画の不幸は、それ本来のオプチミズムゆえに、そうしたシニシズムをフィルムにおさめることができないことにある。密偵レミー・コーションがすれ違う人影が何とも希薄なのも、そうした理由による。あたかも、そして、誰もいなくなってしまったかのように、たしかに人影がいくつも映っていながら、『新ドイツ零年』の画面からはその生死が漂ってこないのである。いま、映画が途方もなく悲しいのは、だから、その終焉の瞬間が近づいているからではなく、世界にキャメラを向けようとすると、世界そのものが、あたかもおのれの輪郭を曖昧に揺るがせるかのようにして被写体たることをこばみ、ファインダーの向こうに浮上するものは、ただ、愚鈍さばかりだからである。愚鈍さとともに、またしても生き残ってしまった映画。そんな苛酷さに耐えられる映画作家は、もちろん、この地上にたったひとりしか存在しない。"(蓮實重彦著『ゴダール革命』p.104-105)