劇場版『ハーモニー』レビュー

(本稿は劇場版『ハーモニー』を鑑賞した筆者が、映画としては最悪、百合としては最高という二心に分裂した苦悩を反映してふたりの女子高生が対話する形式で書かれています。何卒ご了承ください)

 ふたりの女子高生が映画館で集合した。劇場版『ハーモニー』をみるためだ。ひとりはクローム色の革製のジャケットに、ぴったりとしたジーンズを履いている。肩口で切った髪は自分で染髪しており、手入れを怠り、一部が枝毛になっていた。もうひとりはブラウスに緑の薄手のカーディガンを羽織り、細身のスカートを履いている。黒髪をまっすぐに伸ばしていた。
 革ジャンの少女、未来はSFファンで、もうひとりの小百合は百合マンガの愛好家だった。ふたりは女児向けゲーム『プリパラ』、そしてそのアニメにSFと百合の両面があることから意気投合し、親友となっていた。SFとして多数の賞を受賞し、百合としても名高い『ハーモニー』の劇場版をふたりは楽しみにしていた。
「劇場版『ハーモニー』楽しみだね、未来ちゃん」
「うん。監督が『鉄コン筋クリート』のマイケル・アリアスだもん。きっとすばらしい映画だよ」
 場内に入ると、すでに大半の観客が入場していた。ただ奇妙なことに、観客のほぼ全員が大学生とおぼしき十代から二十代の若者で、高田馬場の居酒屋のような雰囲気を呈していた。
「おれ『ハーモニー』もってきたよ」
 ひとりの若者がふたりの友人に白色の文庫版『ハーモニー』を示す。ふたりはほほえみ、同様に文庫版『ハーモニー』を取りだした。
 三人は片手に文庫版『ハーモニー』をもち、両腕を交差させて円陣を組んだ。声を合わせる。
「『いこう、ハーモニーの世界へ』!」
 未来と小百合はそれを嫌悪の眼差しでながめた。
「厄介なオタクだ。ああいうオタクが映画をみたあとにツイッターで悪口とかをいうんだよ」
「やだね」
 未来が小百合にほほえんだ。
「わたしたちはああいうオタクとはちがうからね。劇場版『ハーモニー』を心から楽しもうね!」

 上映終了後、未来は死んでいた。
 一方、小百合は晴れやかだった。場外に出る足取りも軽い。
「ねえ、いっせーのせ、で感想をいおう? せーの」
「最悪だった!」
「最高だった!」
 ふたりは愕然とたがいを見つめた。ふたりは喫茶店にはいった。未来がとつとつとはなしだした。
小野俊太郎の『フランケンシュタインの精神史』によると、『屍者の帝国』は人造人間であるフランケンシュタインの怪物が、メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を発想する源をつくったエラズマス・ダーウィンの孫であるチャールズ・ダーウィンとなる転倒がおこることで、作者の手によるテクストが主体となってあたらしいテクストを生みだすことを象徴しているらしい。遺稿を継いだ『屍者の帝国』自身がそれを現前している。だから、円城塔が原作から大幅に改作された劇場版『屍者の帝国』に、『あなたがそこにいてくれてよかった。』というコメントを寄せたのもそういう意味だったんだと思う。…ってそれで納得できるか!」
 未来はキレた。
「1800円払って十代の腐女子の好きそうなBLみせられてたまるか! 『ゆるゆり なちゅやちゅみ』をみたほうがマシだ!」
「『ゆるゆり なちゅやちゅみ』を悪くいわないで」
「さっきみた『ハイスピード』の劇場予告もみて思ったけど、十代の腐女子の好きそうなBLはどうして登場人物がみんな情緒不安定なの? 『THX-1138』の抑制剤を飲んだほうがいいんじゃない?」
「BLは知らないけど、劇場版『ハーモニー』は百合に焦点を当てていてよかったよ。百合の要素は完全に捨象されることも覚悟していたからね」
「『マルホランド・ドライブ』みたいにちゅっちゅ、ちゅっちゅしやがって。暴力表現もだめなデヴィッド・リンチみたいだし」
「『マルホランド・ドライブ』より『ドライヴ』かもね」
「彩色がニコラス・レフンみたいにけばけばしいんだよ。『ハーモニー』は近未来だ。それなら『ガタカ』や『her』みたいな彩度を落としたやや幻想的な、現実に近い風景を予想しないか? アンドリュー・ニコルが『ガタカ』で予算の都合で未来的な車のデザインができなかったときにどうしたか知ってる? スチュードベーカー・アヴァンティを使ったの。未来的なデザインが用意できないときは、すこしクラシックなデザインを使ったほうがいいってね。劇場版『ハーモニー』の車はなんだ? まるでバトルドームだ」
「網の覆いがあるやつ?」
「町並みも最悪だ。なんでだれもビルについたピンクのガムをそうじしないんだ? 『色彩の薄い立方体が群れて集まる住宅地』がなんでああなる? どうして『マイノリティ・リポート』みたいにできなかったんだ。でも犯罪予防局が予知システムを開発していたら、劇場版『ハーモニー』は公開されなかっただろうね」
「どうして?」
「怒り狂ったファンがスタッフを殺すからだよ!」
「ヒュー!」
「キアンとトァンの会食するビルなんて、まるっきり『鉄コン筋クリート』の塔そのままじゃないか! STUDIO4℃の社員は同じものしか描けないの!? わたしのママだって、『今日は遅くなります』と『夕飯は冷蔵庫のものをチンしてください』のふたつくらい書けるよ!」
「早急に家庭内の話合いをもったほうがいいと思う」
「拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)も最悪。いまは2015年だよ。どうしてあんなに洗練されていないの? まるでピンクのスカウターだよ。戦闘力の代わりに社会評価点(ソーシャル・アセスメント)が表示されるけどね。空港のモニターに『健康』『社会』って表示されるのはなに⁉︎ わたしがみたのは『ニンジャスレイヤー』なの⁉︎
「わたしは『ユージュアル・サスペクツ』の小林弁護士事務所の『力』『成功』『財産』って印字された磨りガラスを思いだしたよ」
「衣装もひどい。なんでスーツにピンクの襟カラーがつけられているの? それが未来のオシャレなの? おまけにキアンは縄文土器みたいなかっこうをしているし。これなら『スタートレック』の低予算全身タイツのほうがマシだよ。螺旋監察官の制服なんて対魔忍と区別つかないんだけど! なんで七十二歳のシュタウフェンベルクまで太ももを露出しているの⁉︎」
榊原良子声の三十代にしかみえない七十二歳の独身ハイレグおばさんなんて最高じゃない」
「もっとも、美術についてはオープニングでいきなりそそり立つWiiリモコンが出てきたときに覚悟していたけどね」
「わたしはiPodかと思った」
Wiiリモコンはいいさ。イントロを文章で示すなら、なんでそこでカットを割るんだ!? だれが考えてもあそこはカットを割っちゃいけないところだろ! それどころか全編に渡って、ずっとカメラがパン、ティルトしつづけているぞ! 安っぽくてまるでマイケル・ベイか大手配給の韓国映画みたいだ! 『ハーモニー』の内容を考えれば静的なカメラワークが当然だろ!?」
「『ハーモニー』はロケーションが世界各国におよぶスパイ活劇の側面もあるから、カメラワークが扇情的なことは否定できないと思うよ。バグダッドの旧市街とバンカーのシークエンスはよかったじゃない」
「ききたいんだけど、ディアン・ケヒトはなんで床までガラス張りなの? わたしがオヤジだったら一日中その下でスカートの女性が通りがかるのを待ってるよ。小泉花陽もいるしね。それに、ヴァシロフと撃ちあいをするときの『灰とダイアモンド』のオマージュはダサすぎだろ。冒頭とふたつだけのアクションシーンなのに、どうしてここだけカメラワークを利かせてないの! 逆だよ! 編集も雑だから展開がつぎはぎにしかみえない! それに劇伴が野暮ったすぎる!」
「トァレグ族が出てきたときに民族調の音楽が流れてきたのは笑えた」
 未来はため息を漏らした。
「どうせレズキスオチなら、『桜Trick』のオープニングを120分ループ再生していたほうがマシだった」
「物語が『ハーモニー』なんだからいいじゃない」
「ぜんぜん『ハーモニー』じゃねーよ! 伊藤計劃は『バラードの心でスターリングのように書きたい』っていったんだ! どこがバラードだ! 自動車でレイプするぞ!(※轢殺するの意味)だいたいミァハの父親がヌァザであることを明かすのが中盤だから、後付けにしかみえないんだよ! 『ハーモニー』は権力の分散した世界なのに、どうして一部の権力者に支配された世界になってるんだよ! メディケアは各家庭に配備されているって原作に書いてあるのに、なんでわざわざ列をなして薬の配給を待つひとびとのシーンをあらたに挿入しているんだよ! 『リベリオン』か! あたまが『メトロポリス』の時代でとまっているんじゃないか!?」
「たしか『メトロポリス』って戦前だよね」
「おまけに百田尚樹レベルの民主主義論を三回もぶちこみやがって! なにが『民主主義でわたしたちが責任を担うようになった。でも、わたしたちのなかに悪いものがあったとしたらどう?』だ! そういう意味じゃねーよ! これじゃフーコーじゃなくて『フーコーの振り子』だっつーの! 2001年9月11日の世界貿易センタービルにいなければ時代の変化もわからないのか!? わからなくてもせめて原作を読めよ! 爆弾積んだ零戦にのせてツインタワーにカミカゼアタックさせるぞ!」
 未来は夢想した。自分が二丁の拳銃をかまえ、ガン=カタでSTUDIO4°Cの社員をつぎつぎに血祭りにあげるところを…
「銀ピカあたまは『1984』のビッグ・ブラザーか!? ゼーレ(※『エヴァンゲリオン』)みたいな螺旋監察官会議や、拡現(オーグ)で通信相手をクレイアニメで再現してくれる面白サービスはがまんしても、これはひどすぎる! マイケル・アリアスが『わかるひとには「ここはマイケルがやったシーンだな」ってわかる』といったらしい。おまえを101号室にぶちこむぞ!」
 未来は目に涙を浮かべていた。
「こんなことなら千円札を燃やして遊んだほうがマシだった…」
「お札を燃やすのはかなりの快感だから、それをこえるのはなかなか難しいよ」
「混乱する世界の映像も『映像の世紀』みたいだったし… 『パリは燃えているか』を劇伴に制作委員会のメンバーを壁にならばせてひとりずつ射殺したい…」
 濡れた目で小百合を見あげる。
「あんたは文句はないの?」
「バンカーのシークエンスがふたりの再会からミァハの独白、暗転と銃声まですべてが完成されていたからかなり満足。欲をいえば、どうせふたりの関係に焦点を当てるなら、もうすこし学生時代にシーンの配分を増やすべきじゃなかったかな。ディレクターズ・カット版に期待」
「そんなに百合が好きなら『ヴァルキリードライヴ マーメイド』でもみてろよ!」
「もちろん無修正版のためにAT-Xに加入して、最高画質で毎週録画してる」
 未来は号泣した。
「『ソラリス』みたいに前作の失敗をふまえたふたつ目の劇場版が制作されるかもしれないじゃない。レムは二度目の映画化にも文句をいってるし、劇場版『ハーモニー』はどちらかというとソーダバーグ版の『ソラリス』みたいだけどね!」
 未来の泣き声がいっそうおおきくなった。
「もういやだ… 『未来世紀ブラジル』のサム・ラウリーみたいに夢の世界に逃避したい」
「それ、肉体は拷問されてるよね」
 ガバッとあたまをあげる。
「『THX-1138』の抑制剤を用意して! もうこんな悲しい思いはしたくない!」
 小百合は顎に指を当てた。
「百合SFはマンガ版がすばらしい出来で、映画化が失敗に終わるのがよくあるパターンみたいだね。『ルー=ガルー』もそうだったし」
 小百合は劇ハモで出てきた妊娠検査薬のような薬剤入れからカプセルを取りだした。
「これを飲めば、意識が消滅する」
 未来は迷わず嚥下した。
 こうして無になった女子高生は三十四歳のオタクと付きあったのだった。(了)