『荊の城』と『オリバー・ツイスト』

 独白をのぞき、『荊の城』は『オリバー・ツイスト』の観劇の場面ではじまる。本作はロンドンの下町を舞台にしており、主人公のスウは"Fingersimith"=スリであり、『オリバー・ツイスト』でオリバーが仲間にいれられる窃盗団の少年たちとおなじだ。付言すれば、ジョンとデインティのふたりは『オリバー・ツイスト』のノアとシャーロットを想起させる。
 "いまも覚えている――あの日、生まれて初めて見た――世間というものの図を。この世にはビル・サイクスのような悪い人もいれば、イッブズ親方のようないい人もいて、どっちに転ぶかわからないナンシーのような人もいる。よかった、とあたしは思った。ナンシーがようやくたどり着いた側に、あたしは最初からいるのだから――いい人たちの側に。砂糖菓子のある側に。"(『荊の城』上巻、サラ・ウォーターズ著、中村有希訳、東京創元社、2004年、pp.14-15)
 スリであるスウは潔白なオリバーではなく、娼婦のナンシーだ。("「話の中身はたいへん結構だけどね。言葉づかいに問題がある。サクスビーさんはそのへん、ちゃんとしつけてくれたはずだろ。きみは街角ですみれを売るわけじゃないんだ。もう一度、言って」"(同pp.61-62))
 『オリバー・ツイスト』で、有名なロンドン橋での密会や、サイクスの逃亡などの場面につながる前章として、娼婦のナンシーは令嬢のローズと会見する。
 "「いまのあなたのお暮しと、それから逃れ出る機会があることを、もう一度考えて下さいな。あなたは、わたくしにそれを請求する権利をお持ちですわ。自分からすすんで今のようなことを報せて下すったというばかりでなく、ほとんど救いの道を失った女性として、たった一言で救われるというのに、そんな盗賊の群や、そんな男のところへ、お帰りになるのですか。あなたを引戻し、そんな悪業や不幸へ縋りつかせるとは、どんな魅力なのでしょう。ああ、わたくしが触れることのできる琴線が、あなたの心にはないのでしょうか。そうしたおそろしい魅力を相手にして、わたしの力でうったえることのできるものは残っていないのでしょうか」
「お嬢さまのように、若くて、悪をしらない、美しい方が、恋をなさっても、恋というものは、どこまででもあなたを引っぱってゆくものですわ――お嬢さまのように、家庭や、お友だちや、ほかに心を寄せる人や、そのほかあらゆるものがお心を満たしているというのに。きまった屋根といっては棺の蓋しかない、病気になったり死ぬ時の友だちといっては、慈善病院の看護婦しかないわたしのような女が、どんな男にでも望みをかけ、みじめな暮しをしている間じゅう、ぽっかり心の中にあいている空所を、その男でうずめるとなっては、わたしたちにどんな希望がありましょう。わたしたちを憐れんで下さい、お嬢さま――女に残されたたった一つの情(こころ)を持っていることを、そして、神さまの厳かなお裁きで、慰めと誇りに別れ、かえって虐待と苦しみへと向ったわたしたちを、憐れと思って下さいまし」
「わたくしから」とローズはちょっとためらってから云った。「お金を受取って下さいな。お金があれば、悪いことをなさらずに暮らせるでしょう――なにはともあれ、この次おめにかかるまでは」
「いただきませんわ」とナンシーは手を振りながら答えた。
「わたくしがお手助けしようとしているのに、お心をおとじにならないで下さいな」とローズはやさしく歩み寄りながら云った。「ほんとに、わたくし、あんたのお力になりたいと思っているんですから」
「お力になって下さる気なら」とナンシーは両手を砕けるほど握りしめながら答えた。「ここですぐ命をとって下さることがいちばんですわ。だって、今夜ほど自分の身の上を考えて悲しかったことはないんですもの。それに、これまで暮して来たような地獄の中で死ななかったのが、せめてものことですわ。ではさよなら、わたしが自分でうけた恥だけの幸せを、神さまがあなたにお恵みくださいますように」"(『オリバー・ツイスト』下巻、チャールズ・ディケンズ著、中村能三訳、新潮社、1955年、pp.177-179)
 ディケンズの二作目である『オリバー・ツイスト』は、その初期作品の特徴として楽観主義的であり、登場人物は善悪に分かれている。ナンシーはその例外として、オリバーの誘拐に参加しつつ、その救出を手助けし、作品の半ばで死ぬ。ディケンズの作品はヴィクトリア朝にあって社会諷刺に貫かれており、ニューゲート監獄に多くの紙幅を割く『大いなる遺産』は、『荒涼館』『リトル・ドリット』などと同様に後期作品らしく陰鬱で、ジェントリとしての振舞いを重視する価値観そのものを批判する。マーシャル・マクルーハンは『メディア論』で、前期から後期への作風の変化に、可動的な子どもの目を視点に用いた『デヴィッド・カッパーフィールド』を書いたことを一因に挙げる。
 『大いなる遺産』で流刑囚のマグウィッチがピップをジェントリにしようとしたように、『荊の城』ではサクスビー夫人はモードを貴婦人にしようとした(『荊の城』下巻、p.82)。
 おなじヴィクトリア朝を舞台として、『半身』で監獄を、『荊の城』でポルノを主題にした両作は当時の価値観を相対化している。そして、モードは生粋の令嬢ではなく、ポルノの朗読者で、スウもまた公爵の血筋でスリだ。
 "「そうすりゃ、ここに来てあたしになれるってわけかい!」モードは答えない。ああしは言った。「あたしたち、一緒に、あいつを裏切ることだってできたんだ。あんたが言ってくれさえすりゃ。あたしたちで――」
「えっ?」
「なんとかできたのに。あたしがきっとなんとかした。どうにかして……」
 モードは首を横に振り、静かに言った。「あなたはどれだけのものを捨てられたかしら?」
 その視線は闇のように、揺れもせずまっすぐに伸びてきた。突然、あたしは母ちゃんが――そしてジョンもデインティもイッブズ親方も――固唾をのんでこっちを見ていることに気づいた。そしてあたしは、自分の臆病な心を覗きこんで思い知った。あたしにはモードのために何ひとつ、本当に何ひとつ捨てることができなかったのだと。これ以上、モードに恥をかかされるくらいなら死んだほうがましだった。"(『荊の城』下巻、p.336)
 『荊の城』が『オリバー・ツイスト』を引いているとすれば、そこにはディケンズの初期作品では叶えられなかったナンシーとローズの友情にたいする目配せがあるだろう。